スポンサー

2014年7月16日水曜日

年を重ねることで焦りは出るが悲観的にはならない


 
 
昨日書いた村上龍のエッセイ本タイトルは、『ダメな女』という。

私は本を選ぶとき、本屋や図書館にふらり入り、その時の気分で決める。最近、思っているのは、ある本を手に取り読みはじめ、読み終わる一連の行動は自分の場合、スーパーやお菓子屋さんにふらりと入り、選び、食べる傾向と似ていると感じること。お気に入りのお菓子を何度も買って食べるのは、お気に入りの作家の本を何度も読むのに似ているし、そのときの気分に合うお菓子がない場合はお菓子コーナーをスルーするというその行動も本屋や図書館のそれとよく似ている。これを書くことによって、自分は気分屋だとか、自分は自己管理ができていないとかをPRしたいわけではもちろんない。何が言いたいかというと、自分は本を読むことが好きだ、ということだ。適度に本を読まないと、活字を欲して我慢できなくなるわ、ということだ。

実はこれ、10年前とは大違い。一昔前は、本を読むのが苦手だった。文字が羅列してあるだけの紙より、絵の入った紙を好んだ。つまり、漫画だ。そんな自分が、お菓子を食べるように本を読むという「活字ちょい中毒」状態に陥っているのに我ながら驚いている。時か。時間が変化をもたらしたのだろう。そういえば少し振り返り、このパラグラフの一行目に戻ると、「一昔前」なんて言葉を使っている「一昔前」という言葉を使うのは、老人になった証拠だと中年男性が新人教育の時に言っていた。老人とはいかないまでも、年をとったのだろう。

25歳になるとき、年をとることを悲観していた。周囲に言われた他意のない「アラサーおめでとう」。アラサー。その言葉が差し迫っているのか、いやいや、四捨五入したらたしかに30歳。そうか、私はアラサーなのか。そんなことを思った覚えがある。昨年から、「そろそろ結婚しないのか」そんなことを祖母が言い出してドキリとする。

そういえば先日の飲み会でも50代男性に言われた。「早く結婚した方がいいよ。」(ところでこの発言自体をセクハラととるかという議論もできるかもしれないが、私は別に不快に感じなかったのでこの発言はセクハラじゃなかったということにしよう。セクハラとは、言われた方が嫌な思いをした場合のことを指していると勝手に定義づける。この手の話は、流れによってはとても興味深い話になる。他の人の恋愛話も聞けちゃうんだから。女子の好きなくちの話になる。)結婚したいかと言われれば、いつかはしたい。いつしたいかと言われると難しいけれど、今すぐじゃなくてもいい。この微妙な感じ、わかりますか。

あえて孤独なマイノリティ目線でいうつもりはないが、こういった感覚は、経験した人じゃないと分からない。例え同世代でも、今すぐ結婚したくてしょうがないという人や、ずっと結婚したくない人が存在するように、立場や価値観によってこの感覚が理解できない人もいるだろう。

「ウラコは晩婚だと思う。」仲のいい友人からそういわれた。晩婚がいい、早く結婚してよかった、わるかった、一生独身がいい、こんな条件の人となら結婚したい。100人女子が集まれば、「微妙な想い」が100通りあることだろう。その状況で声を低くしてボソリと言いたいのは、「どうでもいいじゃん」ということ。

どんな結婚をするにせよ、しないにせよ、なにかに取り組むにせよ、どうでもいい。ただ、同じ24時間を過ごしていくのなら、どうせなら楽しく、どうせなら時として意味のある過ごし方をしたい。それを重ねて年をとっていきたい。そう思うのです。

ところで女子は、どうでもいい話がたまらなく好きだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿

スポンサー